呼吸による癒し by ラリー・ローゼンバーグ

本「呼吸による癒し」画像

  瞑想指導者ラリー ・ローゼンバーグ(Larry Rosenberg)が記した『呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想』(春秋社)は、仏教の経典「出息入息に関する気づきの経」(アーナーパーナーサティ・スートラ)を解説した本です。この1冊で、瞑想に取り組む際の「心構え」(マインドセット)を深く知ることができます。

 著者のラリー・ローゼンバーグは、1932年、ニューヨーク、ブルックリンでロシア系ユダヤ人の家で生まれ、育ちました。シカゴ大学で社会心理学の博士号をとり、同大学で教鞭をとります。その後、ハーバード大学の精神科助教授となりますが、学問の世界に失望し、仏教の世界へのめり込んでいきます。仏教を学ぶために世界を転々とし、1985年、マサチューセッツ州ケンブリッジに「ケンブリッジ・インサイト・メディテーション・センター」(Cambridge Insight Meditation Center: CIMC)を設立しました。北米にて瞑想指導者として高い名声を得ている人物です。

「出息入息に関する気づきの経」(アーナーパーナーサティ・スートラ)とは

 「出息入息に関する気づきの経」(アーナーパーナーサティ・スートラ)は、テラワーダ仏教に伝えられた仏典のひとつです。テラワーダ仏教は、スリランカ、タイ、カンボジア、ミャンマーなどを中心に継承されてきました。「テラワーダ」はパーリー語(古代インド語)です。「テラ」(長老)で「ワーダ」が「教え」を意味します。

 テラワーダ仏教の特徴は、仏教が生まれた時代の教えをそのまま残こしている点です。ですのでテラワーダ仏教は、「原始仏教」「初期仏教」とも呼ばれます。これに対して、インドから中国や韓国へ、そして日本へと広がっていった仏教は「大乗仏教」と呼ばれ、民衆にわかりやすく伝えようと、初期の教えを「変革」していった歴史があります。

「出息入息に関する気づきの経」(アーナーパーナーサティ・スートラ)にある主要な呼吸に関する教えは、4章で構成され、各章に4つの考察が記されています。よって全部で「16の考察」で構成されます。

最初の考察(身体に関する組)

1.息を長く吸っているときには、「息を長く吸う」と知り、息を長く吐いているときには、「息を長く吐く」と知る。
2.息を短く吸っているときには、「息を長く吸う」と知り、息を長く吐いているときには、「息を長く吐く」と知る。
3.「全身を感じながら息を吸おう。全身を感じながら息を吐こう」と訓練する。
4.「全身を静めながら息を吸おう。全身を静めながら息を吐こう」と訓練する。

第二の考察(感受に関する組)

5.「喜悦を感じながら息を吸おう。喜悦を感じながら息を吐こう」と訓練する。
6.「楽を感じながら息を吸おう。楽を感じながら息を吐こう」と訓練する。
7.「心のプロセスを感じながら息を吸おう。心のプロセスを感じながら息を吐こう」と訓練する。
8.「プロセスを静めながら息を吸おう。プロセスを静めながら息を吐こう」と訓練する。

第三の考察(心に関する組)

9.「心を感じながら息を吸おう。心を感じながら息を吐こう」と訓練する。
10.「心を喜ばせながら息を吸おう。心を喜ばせながら息を吐こう」と訓練する。
11.「心を安定させながら息を吸おう。心を安定させながら息を吐こう」と訓練する。
12.「心を解き放ちながら息を吸おう。心を解き放ちながら息を吐こう」と訓練する。

第四の考察(知恵に関する組)

13.「無常であることに意識を集中させながら息を吸おう。無常であることに意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。
14.「色あせていくことに意識を集中させながら息を吸おう。色あせていくことに意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。
15.「消滅に意識を集中させながら息を吸おう。消滅に意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。
16.「手放すことに意識を集中させながら息を吸おう。手放すことに意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。

 『呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想』(春秋社)では、著者のラリ・ローゼンバーグが、以上の「16考察」を取り上げ、ひとつひとつに解説を加えていきます。

 この本の翻訳を手がけた井上ウィマラ氏は、ラリー・ローゼンバーグと面識がある人物で、本人もまた瞑想の実践者・指導者です。『呼吸による癒し』(春秋社)の文章は、優しい日本語を使って「深いこと」を表現するのに成功している名文集のようなものです。とてもかりやすく、頭にすっと入ってきます。

 「出息入息に関する気づきの経」(アーナーパーナーサティ・スートラ)についての解説は、本書に譲りまして、この本は、瞑想を実践する時の「心構え」(マインドセット)が、とてもわかりやすく説明されていますので、瞑想指導者として名高いローゼンバーグの言葉を紹介しながら、瞑想のポイントをおさえいきましょう。

瞑想をする時の心構え(マインドセット)

瞑想は全てが成功体験。

「One Meditation,One Success」
(ひとつの瞑想、ひとつの成功)

 これは「ナチュラル・メディテーション」のモットーであり、瞑想をする際の心構え(マインドセット)として、とても大切にしていることです。瞑想をすると、雑念が湧いてきます。呼吸に集中しているはずが、いつの間にか、いろいろと考えてしまっていて、気づいたら「瞑想の時間が終わっていた」なんてこともあります。

まっつん
まっつん

この時、「雑念ばかりで、全然ダメだった」「瞑想は難しい」と、自分に「ダメ出し」することはありません。雑念ばかりの瞑想だったとしても、「これでO K」と考えてください。雑念の湧いている状態もまた、瞑想として成功の体験です。なぜなら、瞑想を初めてしばらくは、雑念と雑念の間に「無」を感じ取れる瞬間があるのであり、雑念があることでこそ、「無」を意識できるからです。

 ラリー・ローゼンバーグ氏も、こう書いています。 

呼吸と共にあること、心がさ迷い出してしまうこと、さ迷ったことを知ること、穏やかに戻ってくること、そのすべてのプロセスが瞑想なのです。戻ってくるときに、自分を責めたり、裁いたり、失敗したという感じを抱かずに戻ってくることがとても大事です。

『呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想(ラリー・ローゼンバーグ 春秋社)p49 

 瞑想が終わったら、瞑想をした自分にしっかり感謝をしましょう。「うまくいった、うまくいかなかった」と評価することはありません。なぜなら、評価は感情を乱す原因になるからです。

 評価は不要です。5分でも10分でも、自分で決めた時間、1回瞑想をしたら、全てが成功体験です。ですから、自分に感謝をすれば、それでいいのです。

ラリー・ローゼンバーグの名言

呼吸と共にあることを学び、意識の深層へ沈潜することを学んだとき、そこには感覚的な快楽とは何の関係もない本来的な幸せがあること、その幸せによって人生にまったく新しいバランスが生まれることを発見するのです。p154

「無」はいつでもそこにある。

 瞑想が上達し、意識の深い領域へと降りられるようになると、雑念の浮かばない時間が訪れます。そこは、とても澄み切っていて、大きな広がりを感じられるエネルギーに満ちた空間です。

 瞑想を始めてしばらくは、「無の領域」に到達することが、とても難しいように感じられます。「その日の出来事」や「過去の後悔」や「未来の不安」が心の中を支配し、雑念だらけの自分に心が折れそうになります。「無の領域なんて嘘じゃないのか?」と、疑心暗鬼になりがちです。

 でも、「無の領域」は、確かに存在しています。どんな人の心にも備わっていて、あなたが来るのを待っています。瞑想の歴史は数千年に及びます。数千年の歴史で「無の領域」が人の心にあることが、繰り返し確認されてきたのです。

 ローゼンバーグ氏は、こう書いています。

瞑想が目指しているのは、すべてのものがやってきた場所へと戻って行くことです。一切は静けさの中からやって来て静けさの中へ帰って行きます。心が落ち着き、静寂になるにつれて、心理的な時間の感覚が消え去り、広大なひろがりへと開かれていきます。それは興奮の背後で、常にそこにあったのです。

『呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想(ラリー・ローゼンバーグ 春秋社)p129

 どれだけ雑念に支配されても、ほんの一瞬、何も考えない時があれば、それは「無の一瞬」ととらえてよいのです。「無」を求めると「無」は遠のきます。むしろ、心を静かにして、雑念に親しみを感じながら、雑念に集中して、雑念を観察し尽くそうとすることで「無」への扉が開かれます。

 「無」は、いつでもそこにあるのですから、あわてることはありません。

ラリー・ローゼンバーグの名言

煩悩が現れてこないように煩悩と戦っても、うまくいきません。煩悩を意識の一部として受容し、それがおのずから展開するに任せるのです。そうすれば煩悩をただ観察し、真に理解できますし、その結果、煩悩はおのずから消えていくことでしょう。

『呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想(ラリー・ローゼンバーグ 春秋社)p135

日々の生活の中に瞑想がある。

 瞑想は、座って目をつぶり、心を静かしている時間だけはありません。

『呼吸による癒し』(春秋社)には、「十六のステップの究極的な源泉は呼吸です。法玄禅師は全宇宙は呼吸だと言いました。本気で呼吸に注意を向けるならば、呼吸はあなたをその無垢の源泉へと連れて行ってくれます」(p216)と書かれてあります。

 呼吸は、瞑想中だけに行われるものでありません。目が覚めている時も、寝ている時にも。朝ごはんを食べいる時にも、会社で仕事をしている時にも。ジョギンしている時にもSNSをしている時にも、誰もが呼吸をしています。

 『呼吸による癒し』(春秋社)は、そのタイトル通り、瞑想でいかに「呼吸」が大事かを説いていて、「呼吸の重要性」を、日々の生活に取り入れることを私たちに諭します。

 ローゼンバーグ氏は、このように言っています。

真の教師は人生なのです。修行によって私たちはより人生へと開かれていくべきであり、人生からはまったく切り離されてしまうべきではありません。

『呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想(ラリー・ローゼンバーグ 春秋社)p235

 「瞑想をしている時間は特別」と考え、「瞑想をしていない時間は平凡」と認識することは、瞑想の時間を貧しいものにしてしまいます。瞑想する時間を特別視することはありません。

 瞑想は、意識を発達させ「人間性・人格を高める時」です。人間性・人格を高めることは、瞑想中にしかできないことでしょうか。そんなことはありません。仕事をしている時でも、家族といる時でも、友と語らっている時でも、苦手な人に会っている時でも、私たちの生きている時間、その全てが「人間性・人格を高める時」です。

 その一瞬、一瞬で、呼吸に集中するように、「今」という時間に集中することで、私たちは人間性・人格を高め、人としてよりよく成長していきます。そして、その成長が、あなたが日々、出会う人々にもよい影響を与えていきます。その影響が広がっていけば、社会が世界がよりよく変わっていきます。

 ナチュラル・メディテーションは、次のこともモットーにしています。

「One Meditation,One Progress」
(ひとつの瞑想、ひとつの前進)

 誰かひとりの人が瞑想することは、その人のためにることは、もちろんのこと、誰かのためにもなり得ることです。誰かのためになり得ることは、ひいては社会のため、世界のためになることです。

 志は高く、腰は低く、日々、瞑想に取り組んでいきましょう。  

ラリー・ローゼンバーグの名言

あなたは自分自身のために修行しているのではなくすべての存在のために修行しているのだということがわかるでしょう。私たちはすべて同じような心を持っていますから、あなたが修行して明晰さと健康さを育むならば、あなたはすべての人々を助けることになるのです。

『呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想(ラリー・ローゼンバーグ 春秋社)p198